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「訴訟」の問題点

 昨日の続き。

  私は、薬害が「訴訟」でしか争えないことが問題と感じている。
例えばだ、これ、誰も悪くないケースも十分考えられるんだよね。
(薬害肝炎に関しては、国の責任が0ってことはないだろうけれども。)

 例えば、何かの薬で信じられないような副作用が発生したとする。
被害者が国と企業に訴訟したとする。でも、その副作用を事前に発見することは、
不可能だったとすれば?国も企業もベストを尽くしていた。でも、薬害を防げなかった。
・・・この場合、被害者はどうなるよ?
 民事訴訟なら、相手に落ち度がない限り、金は取れないぞ。
でも、被害者にも落ち度はない。そして、被害が発生している。
ここまでいくと、「天災」に近いが。そういう薬害も考えられる。

 これは、訴訟にはそぐわないだろう。結局、「政治決断」で救済するしかない。
となると、最初っからこの手の問題は訴訟にそぐわないんじゃないか?
明らかに落ち度が見える場合はともかく、そうでないのなら訴訟するのはどうよ。

 実はこれは、医療過誤訴訟にも通じる部分がある。
医療上の事故で、被害が発生した。でも、医師には防ぎようがなかった場合は?
被害が出れば、必ず犯人がいる。まず、この思考を改めたほうがよい

 被害がでたわけだから、患者さんは訴訟を起こす。
医師は、患者さんを助けたいのはヤマヤマだけど、自分に落ち度はないことが判っている。
そうすると、医師は裁判で患者と対立せざるをえなくなる。
「どっちも悪くないのに、被害が発生した場合」ってのは、訴訟に向かない。
そして医療の現場では、こういうことは結構おこる。

 こういう場合は、訴訟以外の救済措置が必要になるだろう。
まず、患者さんの救済を確定させてしまうわけだ。
そうすれば、少なくとも訴訟で対立することはないだろう。

 もちろん、過失や責任がある場合もあるだろう。
その場合は、再発防止のために別に追求する必要があると思う。
ただ、あくまで「救済とは別に」分けて考える。

 訴訟となると、患者側は「医師に過失を認めさせなければ救済がない」
状態になってしまう。これは、感情的に対立するなって方が無理だよ。
もちろん、救済されるからといって対立しなくなるとは思わないが、
訴訟よりはマシだろう。

この問題に関しては、NATROM氏のブログが大いに参考になったので貼っておく。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071217#p1

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