福島大野病院事件。事件の再発防止は?
福島大野病院事件。このブログでは、実は1回だけさらっと触れている。
2.18のエントリだ。
大野病院事件をさらっと流してみる。
帝王切開手術中の女性が、胎児娩出後、胎盤が子宮からはがれない
「癒着胎盤」であり、医師が手で剥離を試みたが大量出血を起こし、
女性が死亡してしまったという事件だ。
この事件は、その後、医師が逮捕され起訴される事態となった。
その判決が、つい先日でた。「無罪」だ。
昨日の報道では、検察は控訴断念の方向で検討しているという。
「癒着胎盤」は産科医が一生に一度当たるか当たらないか、
くらいの「非常にまれ」な疾患だそうな。
実際、被告の医師も今回が初めてだったそうだ。
争点となったのは、「癒着胎盤」を手で剥がすことの是非だ。
医師側は、標準的な治療だと主張した。
検察側は、子宮摘出手術に移行すべきだ、と主張した。
今回の判決では、医師側の主張を認めている。
検察側は、子宮摘出に移行すべきだ、と主張したが、
実際にその状況で子宮摘出に移行した症例を示すことはできなかった。
(実は、子宮摘出に移行して、結果死亡した症例はあるようだ。)
批判を覚悟の上でわかりやすく説明してみると、
癒着胎盤という、ごくまれな事態に遭遇した場合、
とりうる方法が2つあった。医師は、当然どちらもやったことがない。
どちらが正解かもわからないし、どちらも正解でないかも知れない。
しかし、医師は必ず決断しなければならない。
その結果、患者さんは死亡してしまった。
で、「もう片方なら助かったかもしれないだろう!」と
過失を責められ逮捕されてしまったわけだ。
もう片方を選んでどうなったかは、もはや誰にもわからない。
しかし、助かる可能性があったことは確かだと思う。
もっと突っ込んでみる。たとえば、医師が選んだ方法が「成功率20%」、
検察の言う方法が「成功率10%」だとするとどうなる?
片方しか選べない。それなら、「20%」に賭けるのが普通だろう。
その賭けに負けたからといって、「なぜ10%に賭けなかった?」と言われたら?
そっちに賭けて勝つ可能性はあるが、同様に負けている可能性も高い。
この事件は、そういう事件だった、と思う。
これは、医師が逮捕、起訴までされるような事件か?
私はそこが一番気にかかる。
医療事故、過誤に警察が関与する是非について。
誰も、「あらゆる医療事故に警察が関与すべきでない」とは言わないだろう。
当然、悪意ある事故や、故意、明らかな過失などは、警察が介入すべきだ。
そうすると、線引きか必要になる。
「ここまでは警察が介入すべき。ここから先は介入すべきでない。」と。
真っ黒な事例から、真っ白な事例、その間。どこで線を引くか。
この大野病院事件は、「限りなく白に近いグレー」と表現した医師もいる。
なんで、よりによってそんな事件で警察が介入したのか?
起訴されてしまったのか。誰が「事件」にしてしまったのか。
私は、その意味で「事件」の再発防止が必要だと思う。
残念ながら、癒着胎盤による「事故」の再発防止には長い時間がかかりそうだ。
医療の進歩は目覚しいが、悲しいことに限界というものもある。
おそらく「神」のような腕をもつ産科医ならば助けられるんだろうが、
日本全国すべての医師に「神になれ」ってのはどうやっても不可能だろうから。
また、このような事例を裁判でなんとかしようというのは難しい。
以前、薬害肝炎訴訟のときにも書いたことがあるが、医療事故でも
「誰も悪くないのに、被害が出てしまう」ケースはありうるんだ。
みんなが最善の努力をしても、救われない命もある。
そういった事例を扱うのに、裁判はそぐわない。
第三者による事故調査、真相究明、それも再発防止のための機関。
実際に作ろうという動きがあり、前に進んでいるんだけど・・・
そっちの方に期待したい。
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