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「本命」だと思うが「絶対」ではない

 放射線被曝に対する考え方について

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 先日、放射線被曝に関する意見として、
産業医科大学の放射線衛生講座から発表されている
「一般向け緊急被曝ガイド」なるものを紹介した。

放射線被曝に関する意見」(2011.7.9)

 コメント欄にまさかの作者登場で、
ちょっと恥ずかしいやら何やら。w
(素人がプロに意見述べてるようなもんだし。汗)

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 さて、さらに素人考えではあるものの、
「こういう風に考えたらいいのかな?」と思うところがあるので、
恥を承知でかいてみることにする。

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 結局のところ、少量の放射線が将来にわたって身体に与える影響というのは、
ハッキリとわかっている訳ではないってことだ。

 データがあるといっても、1945年のヒロシマ、ナガサキでは、
データそのものの信憑性が、今とは桁違いだと思うし、
チェルノブイリの場合は、当時ソ連というのがネックになっていて、
「どこまで信用できるデータなのやら。」という疑念は残る。

 仮に、データを信用したとしても、
過去の例は事実上、この3例に過ぎないのではないか?

 さらに、チェルノブイリ事故からはまだ25年しか経っていない。
当時10歳の子で、まだ35歳な訳で。
この先、どれくらい発ガンリスクがあるか、まだ完全には把握できている
訳ではないだろう。

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 もっとも、科学的にも「絶対間違いない」という説はごく少ないだろう。
どのような説も、「今確認できているデータと全て矛盾しない」というだけで。
新しい事象が発見された場合、教科書が書き換えられることも
十分に考えられるし、今までにもそういうことは多々あった。

 ましてや、放射線被曝に関するデータとなると、なおのこと。
現時点でも、いろんなことを言う人がいて、定説らしきものも
定まっていない。
 閾値がある、ないの議論にしてもそうだ。

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 じゃぁ、何を信じればいいの?何が正しいの?
最終的には、これから30年、50年もすれば、もっと正しい答えに
いきついているだろう。でも、そこまで待ってられんわな。

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 どうなるかはわからないけれども、「可能性の濃淡」は判断できる
全ての説が同様におこりうる訳ではない

 例えば、競馬で考えてみよう。
予想やさんが、データや展開を予想して、こねくり回したところで、
「それが間違いないか?」と言われれば全然そんなことはない。

 かといって、「全ての馬の勝つ確率が同じ」ということはないんだ。

「本命」や「対抗」が勝ちやすいし、「穴」はなかなか勝てない。
それは、過去のデータの分析から分かっていることだ。

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 私は、産業医科大学の「一般向け緊急被曝ガイド」の内容は、
「本命」だと考える

 それは、過去のデータ(ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ)を見て、
そう判断する、ということだ。

 私の勝手な感覚(ただのあてずっぽう)では、的中確率は7割程度かな?

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 私は前回、「これがすべて事実なら、何の対策もいらん?」と書いた。
これが、絶対間違いない、鉄板の事実であればそうなると思う。

 しかし、「本命ではあるが、絶対という訳ではない」んだ。

そこで、閾値なし直線仮説を取ると仮定した場合の対策も
考えておく必要があるわけ。

 競馬なら本命が負けたところで、お金がなくなってしまうだけだが、
放射線対策でそんな博打みたいなことをするべきではないだろう

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 博打はできないんだから、ある程度、安全側に幅をもたせた対策にすべき。
これは、誰も否定しないと思う。

 では、どの程度の幅を持たせるのか?この部分で、「危険派」と「安全派」が
対立してしまうのかなぁ、と思う。

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 例えば、私は「数十ベクレル単位の内部被曝」なぞ、誤差範囲で切り捨てる。
でも、人によっては、「そこもフォローしてよ」となるかも知れない。

 ただ、それはどうやっても勝てそうにない馬にしか見えない。
いや、すでに馬ですらないかも。(ハリボテか?w)

 なので、私はずばっと切り捨てるべき、と主張する。
それは、「本命」を絶対と信じているからではなくて、
その馬が勝てる可能性が限りなく0に近いと考えられるから、だ。

 さすがに、閾値なし直線仮説自体をばっさり切る度胸はない。(苦笑)

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 また、東電の補償金にしても、国の予算にしても、有限である。
効率のよい分配を考えるのは当然だ。
余計な対策に予算をつけると、他が削られることになりかねない。
「そんなとこにまで金使うな!」ってのは、被災者のための言葉だ。

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 放射線被曝の影響について、いろんなことを言う人がいる。
どれが正しいかは、30年、50年経たないと分からないけれども、
「正しい」確率は、現時点でもある程度判断できる。

 勝率が0.000001%にも満たないようなトンデモ理論に、
予算などつけるべきではないだろう。
まして、そんなのと一蓮托生の博打はできんな。

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