誰が在宅を望むのか?
入院から在宅治療への変換が叫ばれて久しい。
特に、来年4月は、介護と医療のダブル改訂。
診療報酬は、2年に1度の改訂。
介護報酬は、3年に1度。なので、6年に1度、重複することになる。
ここで、一気に在宅に舵を切りたい・・・のかな。国は。
だいぶ前の話だけれども、ロハスメディカルで
「入院から在宅へ」という考え方について、という記事がでていた。
http://lohasmedical.jp/news/2011/09/21215140.php
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少し、引用する。(以下引用)
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2025年には、昨年度の1.5倍の方が亡くなる。年間死亡者がですね。
ということは、1回入院して1回で亡くなっても、入院患者さんの数は1.5倍だと。
2回入院して2回目に亡くなるとすると、入院患者さんの数は3倍になる。
単純な計算です。3倍になる入院患者さんに対して、
病院・病床を増やそうという気はないですね、国は。
そうなると、従来のままいきますと、病気の人の3分の2が病院に入院できないか、
または入院する期間を3分の1にするか、このどっちかしかないんです。
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引用終わり。(強調は引用者)
つまり、従来のまま(=入院して病院で亡くなる)だと、
病院がパンクするのは時間の問題。
医療保険としても、病院や病床を増やす余裕はない。
ここから導かれる解が、「在宅」ということになる。
これは、もちろん従来なら入院してゆっくり治療していた人に、
自宅で療養してもらう、という意味もあるが、
逆に言うと、今までよりも重症な人を家に送り返す、ということだ。
そこで、介護保険制度を使って、在宅の支援を行うことが、
急務になっている、わけ。
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ここで、こう聞いてみよう。
「あなたは、家族に見守られながら自宅の畳の上で最期を迎えたいですか?」
「それとも、冷たい病院のベッドの上で、最期を迎えたいですか?」
こう聞くと、ほとんどの人が前者を選ぶんじゃないだろうか。w
つまり、患者さんのためには、在宅医療の方が好ましい、と。
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実は、質問自体がかなりアンフェアだ。w
在宅だからといって、「家族に見守られながら」となるとは限らないし。
(「朝起きたら冷たくなってた」なんてこともあるだろう。)
そもそも、「冷たい病院のベッド」って、印象操作もいいとこだな。w
ただ、在宅医療に関して、そういうイメージを持っている人も
多いんじゃないかな、と思う。特に、現場を知らない一般国民は。
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じゃぁ、こう聞いてみたらどうだろうか?
「あなたは、自分の家族を最期まで在宅で支え、見送る覚悟がありますか?」
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患者さんにとっては、「最期は家で」というのは理想かも知れないが、
介護者にとっては、いくら介護保険の支援があったとしても、
かなり負担を強いられるものだ。
なので、一時は在宅に戻っても、また入院する人が多い。
私は在宅の経験はほとんどないけれども、
慢性疾患ですら、かなり大変そうに思える。
末期がんともなると、家族にどれだけの覚悟が必要か・・・。
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ロハスメディカルの記事から、もう少し引用する。
以下、引用。
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財務省は、どんどん家で死んでもらって、老健でも特養でも在宅でも居住系でも、
どんどんそこで死んでもらって、病院に行かないほうがいい。
ま、これは一番いいけども、果たしてそうなるかどうか。
家族がそこまで耐えられるかどうか。ということになると、
まあ、私はフランスやアメリカのようには、なかなかいかないんじゃないかなと。
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引用終わり(強調は引用者)
患者としては、自宅で最期を迎えたい。
介護者(家族)としては、やはりかなりの負担を強いられる。
もちろん、表向きに介護者の意見がでてくることは少ないが。
(世間体ってもんがあるから)
さて、国民全体の総意としては、どちらに動くだろうか?
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これは、国民全体としての「死」に関する意識改革が必要になる。
もともとは、「家で死ぬ」ことが当たり前だったが、それが次第に
「病院で死ぬ」ことが当たり前になった。
その意識を、また元に戻せるかどうか、ということになるのかな?
私が死ぬときには、どうなっているだろうか?
もっとも、病気で死ぬとも限らないから、なんとも言えないが。
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