計画停電なかったけど、原発再稼動必要だった?
昨日で、関西電力の(万一の時の)計画停電の期間は終了。
まだまだ残暑が厳しいけれども、学校も始まったし、もう大丈夫なんだろう。
色々と準備したけれど、計画停電が実施されることがなく、本当によかった。
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さて、大飯3号機と4号機なんだけど、これ再稼動しなくても電力足りたんじゃね?
という指摘が出てくると思う。当然だ。
一応、関西電力からプレスリリースが出ているな。
「この夏の節電期間の終了にあたって」
http://www.kepco.co.jp/pressre/2012/0907-1j.html
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以下、一部引用。
大阪で7月26日から9日連続で猛暑日となるなど、平年以上に暑い夏となり
ましたが、最大電力が2,682万kWとなり、想定していた2,987万kWを
約300万kW下回りました。
引用終わり(強調は引用者)
想定よりも300万kw少なかった、と。
経済産業省は、「原発ナシでもギリギリ電力は足りた」と試算したとの記事もある。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/opinion/news/20120907ddn003040035000c.html
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以下、一部引用
経産省によると、関電管内で今夏最大の需要を記録した8月3日に全原発が
停止したままだったとしても、需要は2682万キロワットだったのに対して、
供給力は2746万キロワットを確保。電力不足を回避できた計算だ。
引用終わり(強調は引用者)
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ただ、毎日の記事では「再稼動自体は妥当だった」と書いてある。
どゆこと?
タイトルだけ読んで記事を読まないと、誤解しそうだな、これ。
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私の考えを書いておこう。
まず、この夏を原発ナシで乗り切るのは結果論として、可能だった。
これは間違いのない事実だと思う。
でも、私も「再稼動自体は妥当だった」という政府の判断を支持する。
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いろんな観点があるけれども、一つに絞ってみよう。
今回の結果は、あくまで結果論に過ぎない、ということだ。
そりゃ、今となってみては「原発いらんかったんじゃね?」というのは言える。
最大の需要が2682万キロワットだって分かっているんだから。
でも、それを再稼動決定する6月の時点で予想するのは不可能だ。
タイムマシンで見てくる訳にいかないんだから。
もし、再稼動が妥当ではなかった、とするならば、
6月下旬時点での電力需給予想が妥当でなかった、とする必要がある。
わかるかな?
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ちょっと例をあげてみよう。
例えば、とある国家試験に向けて勉強していたとする。
試験の2ヶ月前の時点で、模擬試験で合格判定が出ていたとする。
そっから2ヶ月、勉強するか、しないか?
結果としてちゃんと勉強して、試験は楽勝で通ったとき、
「あぁ、もったいない。勉強しなくても大丈夫だったのに」と思うだろう。w
でも、2ヶ月前の時点で「勉強しない」という判断はあまりにもリスキーじゃない?
どの程度の問題が出るかもわかんないし、
例年よりも難しい問題が出る可能性だってあった訳で。
つまり、「2ヶ月前」の時点で、将来(合格)が完璧に予測できているのであれば、
「勉強しない」という選択肢はありえただろう。
でも、合格してから「勉強しなければよかった」ってのは、間違っているのは
誰にでも分かるんじゃないか?
これが、「結果論で批判しちゃいけない」ということだ。
その時点の情報で、その時点の判断を吟味しなければならない。
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そう考えると、「原発動かさなくてもギリギリ」ってのは、
結構危ない橋だった、とも言える訳で、それは再稼動も妥当と言えるだろう。
セーフティネットとしての計画停電をおこしたとしても、
混乱がおこるのは目に見えていたわけで。
ましてや、大規模停電なんてことになったら、死人が出てもおかしくない。
そこまでのリスクを背負って、再稼動しない、という判断はちょっとない。
事故のリスクと停電のリスクを秤にかけた場合に、
再稼動という判断は妥当だったんだろう。
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さて、今後はどうするんだろうか?
電力会社は、もちろん他の原発も再稼動に動くだろう。
大飯の再稼動は、実際のところ「緊急避難」的な措置にみえる。
とりあえず夏がヤバいから動かす、みたいな。
一息ついたところで、今後原発をどうしていくか、
もう一度ちゃんと考えないといけない。
将来的に、原発ゼロを目指すとして、何年後を目指すのか。
それまでの過程をどのようにするのか、などなど。
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