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「特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」

 本の紹介。

特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ
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 1945年5月11日。沖縄沖で、日本の神風特攻隊が
アメリカの高速空母部隊に襲い掛かった。
大半は空母に突入する前に撃墜されたが、
 ミッチャー中将の旗艦でもあった、空母バンカーヒルに、
爆弾を抱えた2機の零戦が、突入に成功する。
バンカーヒルは大破炎上。400名近くの戦死者を出している。

 この二機の零戦は、パイロットまで判明している。
日本側の資料は終戦直後に意図的に廃棄されているので
初期はともかく、この時期の特攻機の搭乗員まで判明するのは
きわめて異例のことだろう。

 この本は、太平洋戦争について中立的に書かれている。
バンカーヒルの将校、下士官らの話もでてくるが、
バンカーヒルを大破させた特攻隊員、小川清大尉の生い立ちから
訓練の様子などを非常に詳細に書いている。

 著者は、何度も来日し、当時を知る特攻隊員やその家族から
聞き取りを行っているらしく、
日本に関する記述は非常に正確である。

 著者はマクスウェル・テイラー・ケネディ。
J・F・ケネディ元大統領の甥にあたるそうだ。

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 この本、テーマも重いが物理的に重い。(苦笑)
650pを超える大作のノンフィクション。
一気に読むのは無理だったので、ちびちびと読み進めていた。
ただ、全体的に読みやすい文章なので、それほど苦痛ではない。

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 日本側から特攻を書いた本はたくさんあるが、
特攻を受けたアメリカ側から書かれている本はほとんどない。

 バンカーヒルは、1943年5月に進水している。
すでに、戦局はアメリカ側に傾いている時期だ。
ゆえに、特攻を受けるまで、被害らしい被害を受けたことは
ほとんどなかった。

 特攻による自爆攻撃は、本来、苦し紛れの一時しのぎの作戦だった。
それが、思った以上の効果を上げたので日本軍はこれを本格的に
進めることになる。

 実際のところ、戦局に大きな影響は与えていない
日本とアメリカの物量には非常に大きな差があった。
末期の日本軍は、普通に戦えばアメリカ軍に損害を与えることが
ほとんどできなかった。
 しかし、特攻であれば、効果は期待できたのだ。

 アメリカ軍に与えた衝撃は、色々な意味で大きかった。
日本側から見れば、戦局を一変させる可能性はあったと思う。
実際、特攻がなければアメリカ軍はここまでの被害を出すことは
なかったと思う。

 それでも、大勢に影響がなかったのは、彼我の物量差の問題だ。
大差がつきすぎていたから。それに尽きる。

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 特攻隊員の多くは急遽招集された未来ある学生だ。
十分な訓練をする時間はなかった。
何よりも、訓練するのに必要な燃料が不足していた。
実際に飛行機で空を飛ぶ訓練は、せいぜい10回程度。
 20時間にも満たないような飛行訓練の時間で、
敵艦に突入するという困難な任務にあたることになる。
そりゃ、成功率が低いのもうなずける。

 そんな中、バンカーヒルに突入した二人。
安則と小川は、バンカーヒルに大打撃を与えることに成功した。
安則は、投下した爆弾こそ舷側を貫通して海上で爆発したものの、
突入した機体は空母の甲板上の航空機を根こそぎ巻き込んで
大爆発をおこした。

 小川は、ここしかない、というくらいピンポイントの位置に
爆弾を命中させ、格納庫までぶっ飛ばした。
(もう少しずれていれば、指揮官のミッチャー中将も死んでいた)

 そして、突入した零戦の中で息絶える。

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 この特攻機が、小川大尉のものである、と判ったのは、
零戦はともかく、そのパイロットの遺体がかなり綺麗な状態で
残っていたからだった。小川が身に着けていた時計や写真、
手紙等の遺品を、バンカーヒルの水兵が(こっそり)持ち帰っていた。

 この水兵は、死ぬまでこのことを秘密にしていた。
何十年も後、遺品を整理していた家族が発見して、
最終的に小川大尉のものであることが確認され、
遺品は遺族のもとに戻っている。

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 バンカーヒルは甚大な被害を受けていた。
ただ、船底に穴が開いている訳ではない。
弾薬庫に引火して大爆発でもおこさない限り、沈むことはなかった

 しかし、飛行甲板、格納庫の火災の被害は甚大で、
しかも構造上の欠陥により、船内に煙と有毒ガスが蔓延した。
どこからも空気を取り入れることができなかった。

 最下層にあたる機関部は、それでも船を動かし続けた。
これ以上攻撃を受けると、さすがに沈みかねないし、
ボイラーが動いていないと艦内の電気が全て止まってしまい、
消火活動や救助活動にも支障が生じる。

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 ボイラー室は煙と有毒ガスにより、次々と倒れて死んでいく。
それでも、上官のカーマイケルは、避難を許さなかった。
ボイラー室は、死ぬまでボイラーを動かし続けた。
 第1ボイラー室が最後の一人になった時、カーマイケルは
(艦内電話で)この最後の一人に詳細な指示を送っている。
それは、彼が死んだ後もボイラーを動かし続けるための指示だった。
結果、第1ボイラー室は全滅したが、ボイラーは動き続けた。

 空母バンカーヒル、という全体のために、カーマイケルは
ボイラー室の水兵に死を命じた、といってもよいと思う。
仲間のため、国のために死んでいく若者、という図式は
カミカゼを受けたアメリカ側でも、あったということだ。

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 もっとも、これはバンカーヒルに限ったことではないだろうし、
もっと言うなら、特攻に限ったことでもないように思う。

 1942年、ミッドウェーからソロモン海域の戦いにおいては、
日本海軍とアメリカ海軍はほぼ互角の戦いをしていた。
特攻に限らず、「敵から攻撃を受けた」軍艦の奮闘というのは、
それほど変わらないのではないだろうか?
という疑問が残る。

 特攻も含めて、美談ではあるかも知れないが、
そもそもそんな状況になることが、おかしい。
特攻がよくないということではなく、
そんな状況になるまで戦争したことが悲劇の元だろう。

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 バンカーヒルが大破したのち、
指揮官のミッチャー中将は旗艦をエンタープライズに移した。
エンタープライズは太平洋戦争初期から華々しい活躍をしている、
また、いくたびも日本軍の攻撃にあい被害を受けながら、
修理され、前線に復帰している歴戦の空母である。
 しかし、わずか2日後の5月14日、
エンタープライズも1機の特攻機の突入を受け大破炎上。
歴戦の艦だけあってダメージコントロールも優秀だったので、
火災はすぐに消し止められ、死傷者も少なかったが、
飛行甲板の損傷により、戦闘続行は困難となり、旗艦の任をとかれ
本国に帰ることになっている。

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 さて、なんでこの本を手に取ったかというと、
例によって山本弘さんの「BISビブリオバトル」シリーズで
紹介されていたから。
 このシリーズから読まされた本は非常に多い。(苦笑)

 最後に、BIS部長の聡が、この本を紹介したプレゼンの
最後の言葉を引用しておく。とても印象的な言葉である。

「日本人もアメリカ人も、同じ人間なんです」

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