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映画「君の膵臓をたべたい」

 
 見ようかどうしようか悩んでいたけれども、
結局、ほかに見たいものがなかったという消極的な理由で、
「君の膵臓をたべたい」(通称:キミスイ)の映画をみてきた。
 
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 映画を見るのに消極的だったのは、原作を知っているから。
で、原作は実写化するにはいくつか問題点があった。
実写化で劣化するといやだなぁ、と。
ま、これはみんな思うことだろうけど。
 
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 結論から言うと、映画は映画でよかった。
ラストで、あちこちからすすり泣きの声が聞こえてきたし。
 
 原作は「わかりやすく泣かせにくる本」だったけど、
映画もまぁ、そこは同じかな。
 
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 あとでネタバレもするつもりだけど、
ネタバレにならない範囲で、少しふれておくと、
 
映画になったことで、原作よりもよくなっている点もある。
一方で、どうしても削らざるを得なかった点もある。
 
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 この作品、一番の肝はタイトルだ。
インパクトのありすぎるタイトル。「君の膵臓をたべたい」
原作は、このタイトルをどうやって活かすかにすべてをかけた。
 
 その部分は、映画も同じ。
このタイトルを、どうやって際立たせるか。
結果として、この点では原作を上回っていたと思う。
 
.
 
 あとは、「映画」が「本」より優れているところ。
映像なので、イメージしやすい。入ってきやすい。
 
 特に、ヒロイン、咲良はよかった。
私は女優さんの名前も知らないけれども、あの役は非常に難しい。
余命いくばくもない女子高生を明るく演じろってんだから。(苦笑)
 
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 ただ、原作でのあの笑い声はカットされていた。
いや、そりゃそうか。あれを再現できたら、もはや神の領域だろう。
咲良は、「うわはははっ」とおっさんみたいな変な笑い方をする
設定だったけど、これを表現するのは無理だろう。w

これ、ラストへの伏線の一つでもあるんだけど、
映画版ではそのラスト自体を変えちゃったから必要なくなった。
 
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 あとは、原作、映画、どちらにも当てはまる話。
 
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 膵臓の病気で余命いくばくもないけど、見た目元気。
一体、何の病気なんだ??
 
 上記のような疑問を、まじめに考えてはいけない。w
 そんな病気、ある訳ないだろう。
あれは、お話の中だけのファンタジーだ。
リアリティはないけれども、それを言ったらねぇ。
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 あと、主人公が咲良に憧れるのは理解できるけど、
咲良が、あれだけ主人公に絡んだ理由がちょっと理解しにくい。
根暗な文学少年なのにね。
 
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 さて、ちょっとネタバレいれるので、無駄な改行を入れる。
読みたくない人はここまでで引き返すこと。
 
 ってか、
 
 これって、
 
 ネタバレ防止のために
 
 毎回やってるけど、
 
 本当に、
 
 ここで、
 
 引き返す人
 
 いるのか?
 
.
 
 むしろ、
 
 ネタバレを
 
 読みたい
 
 っていう
 
 人のほうが
 
 大多数
 
 なんじゃ
 
 ないかな。
 
.
 
 いや、
 
 一人でも
 
 ネタバレが嫌で
 
 引き返す人がいれば
 
 それはそれで
 
 意味があるんだけど
 
.
 
 そんな人
 
 一人もいないんじゃない?
 
 って思ってしまう。
 
.
 
 もう少し、無駄な雑談をいれる。
 
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 もともと興味のある人なら、
 
 もうとっくに
 
 映画みてるよねぇ?
 
.
 
 さすがに、
 
 公開直後にネタバレ
 
 なんてことはしない。
 
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 ちょくちょく映画みてるけど、
 
 結局、原作付きを見ることが多い
 
 話がある程度わかってる
 
 ってのは、ある意味、安心感もある。
 
.
 
 本作の場合、
 
 咲良が死ぬタイミングまで
 
 わかってる訳で、、
 
.
 
 そこんとこ、
 
 初めて見た人とは
 
 落差があると思う。
 
 
 咲良の「死因」については
 
 これは原作から賛否両論で、
 
 そこは映画版でも
 
 かわっていないと思う。
 
.
 
 今回の感想も
 
 そこに触れるつもりはない。
 
 そこが、一番のネタバレだから。
 
.
 
 そろそろ
 
 ネタバレ解禁
 
 いいかな。
 
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 ということで、ネタバレありの感想。
 まずは、あのラストである。
ラストのスマートさは、原作より映画のほうが上だ。
 
.
 
「君の膵臓をたべたい」
って、とにかく「タイトルのインパクト命」な作品。
 
 でも、物語冒頭で、出てくる。
というか、このセリフから物語が始まる。
(これは、原作も映画も同じ)
.
 映画がすごい、と思ったのは、
ラストシーンを、咲良の遺書の最後で締めたこと。
 
 すなわち、咲良の声で「君の膵臓をたべたい」
 まさかの、タイトルコールでエンディング。

タイトルで始まって、タイトルで終わる。

  構成として、ものすごくスマートですっきりしてる。
この、インパクトのあるタイトルを原作以上に活かしている。
 
.
 
原作は、主人公の成長シーンを描く必要からか、
エピローグがついてくるんだよね。
あれはあれでいいけど、なんか、蛇足っぽい感じがあった。
 
 主人公と恭子が友人になるというのが、
咲良の望みだった訳で、原作はそっちを盛り上げて、
ラストも1年後、友達になっている二人、で終わらせた。
 
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 原作では、共病文庫と遺書は続けて出てきた。
というか、共病文庫の中に、遺書が入っていた。
 
 遺書の最後が「君の膵臓をたべたい」
 
 これをラストにもっていくために、
遺書だけが大人パートで発見される話に改編されたのだろう。
 
 まぁ、無理はあるんだけどね。
主人公に届いてた結婚式の招待状って、どっちからだ?w
 
ってか、恭子と主人公が、すれ違ったまま10年近く経ったの?
よく恭子に殺されなかったね。
 
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 で、原作を再現できなかったのは、
主人公の名前を隠す、という趣向。
 
 原作では、主人公が名前を呼ばれるシーンでは、
 
「<地味なクラスメート>君、あとで図書室に来て」
 
 みたいな感じで、本来は名前が入っているところを
主人公が感じている、相手の自分に対する分類?、で
書かれている。
 
 いやいや、こんなこと文章でしかできんでしょ。w
 
 でも、映画でも主人公の名前は隠されてるね。
(苗字は隠してなかったけど。)
咲良が、主人公のことを「仲良し君」と呼ぶのは、
その辺の名残だと思う。
違和感バリバリにあったけど。
 
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 原作では遺書の中でも、咲良は主人公の名前を書いてない。
ただ、映画では名前で呼びかける形に改編されていた。
 
 原作では、主人公が自分の名前を咲良の母親に告げるシーンがあり、
読者もそこで初めてわかる仕掛けになってたけど、
映画では、名前を隠す意味がそんなにないから。
 
 遺書で名前を出さないと、
最後まで主人公の名前がわからなくなってしまうからかな?
 
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 主人公の名前を隠すことで成り立っていた部分って、
結構多かったんだけど、映画ではそこをカットした。
まぁ、仕方ないね。
 
 主人公の名前は「春樹」
 
 ずっと蕾を枝の中にひそめていた「さくら」は、
「春」に出会ったことで、きれいな花を咲かせる。
 
 春樹にとって、咲良との出会いは大きかったけど、
逆もまたそうなんだよ、という仕掛け。
もちろん、それだけではないけどね。
私はそこが一番気に入っているというだけで。
 
.
 
 さて、最後に。
 映画、原作ともだけど、これを「難病の恋愛モノ」で片付ける人がいる。
 
 この作品、「恋愛モノ」か?
 恋愛の真似事はしているけれども、
この二人は恋人同士ではないだろう。
というか、あの感情が恋かどうかも疑わしい。
 
 少なくとも、作者は恋愛を主眼にして書いてないと思うぞ。
どうやっても二人が付き合う未来なんて想像できなかったし。
 
 むしろ、恋愛感情がなかったからこそ
あんなことができたんじゃないのかな。と思うんだけど。
.
 
 この作品を、安易な恋愛モノ、として読んでしまうのは
ちょっともったいないと思う。

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