読書記録 2023.9
2023.9の読書まとめ(読書メーター)
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9月は28冊読了。
小説(新規)14冊、小説(再読)6冊
学術/ビジネス 7冊、エッセイ/その他 1冊
読書の秋?いや、まだ夏でしょ。
読みにくい本が何冊かあったので冊数は少なめ。
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今月の3冊。
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まずは小説
「いのちの十字路」(南杏子)
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映画化もされた「いのちの停車場」の続編にあたる。
前作では、ドライバーとして活躍?していた野呂君が、
医師国家試験に合格して、金沢に帰ってきた。
今回は野呂君を主人公にして、在宅医療にかかわる話。
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テーマは、ヤングケアラー。というか、介護者全体の話。
前作ほど尖ったテーマ設定ではないけれども、
これはこれで大変な話だった。
介護には4つの権利がある、とされている。
1)介護を受ける権利
2)介護を行う権利
3)介護を受けるのを強制されない権利
4)介護を行うのを強制されない権利
このすべてが満たされなくてはならない。
誰もが介護を受ける権利はあるし、行う権利もある。
また、受けない権利もあるし、無理やりやらされることでもない。
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本作では、いろいろな事例がでてくるけれども、
かなりヘビーな話も多かった。
比較的マイルドに書かれているのは、野呂君のキャラのおかげだろう。
もっと早く介護保険につながれないのか?と思うな。
それには、地域のつながりが大事なんだろうか。
金沢でこれだったら、都会はもっとひどいんじゃないだろうか。
そして、最後にでてくるのが
#ケアラーに休日を
介護者、特に家族が介護している場合は、
介護を休む権利も必要なんじゃないの?という訴えだ。
だって、死ぬまで重労働だよ、これ。
たまに休まなきゃやってられないよ。
在宅でがっつり、家族がみる、ってのと、
施設に入れてあとは放置、という両極端が目立ちすぎ?
ふだんの介護の負担をもっと少なくできれば、
たまには1週間くらい介護のことをきれいさっぱり忘れて
バカンスを取ることができれば、
もっとよい状態を長く続けることができるんじゃないのかな?
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次、学術系
「認知症になってもだいじょうぶ!」(藤田和子)
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9月は敬老の日があることもあり、
最寄りの図書館では認知症に関する本を集めた
ミニコーナーが作られていた。
何冊か読んだし、勉強になったけれども、
その中から一冊紹介するとこれかな。
少し前の本だけど。
著者の藤田さんは、若年性アルツハイマー型の当事者。
40代で発症して、この本が書かれるまで10年くらいかな。
症状は徐々に進行しているものの、
まだ、ある程度の認知機能は保たれている。
(少なくとも、手助けがあれば出版できるレベル)
アルツハイマーに関する、数少ない当事者本だ。
症状は人それぞれなんだろうけれども、
介護の問題になったときに、支援、行政は
介護者の方ばかり向いていて、本人を無視していることが多い。
(たぶん、言っても理解できないだろう、と思われているので)
いや、本人の声も聴きなさいよ、と。
できること、できないことは人によってまちまちだけれど、
全員が何もできないことはないんだから。
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あと、認知症と診断されてから、
要介護認定がでるまでの期間。
ここが、本人にとっても介護者にとってもしんどい。
まだまだできることは多いんだけど、
そんな時こそ支援が必要なんだけどな。
支援の空白期間になっている。
それと、認知症は一気に進むことは少なくて
徐々に進行していくものだから。
本人にとっては、少しずつできないことが増えていくので、
そこをもっと支援してほしい、と。
行政からみると、できることが多い間は
「まだ、支援必要ないよね」ってなっちゃいがち。
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アルツハイマーの治療法は全然すすまないけど、
そういう、支援の方法は少しずつ進化していると思う。
こういう、当事者の声を拾えるようになっていけば、
よりよい社会を築くことができるかもしれない。
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そういえば、アルツハイマーに関しては新薬が話題になっているけど、
実際のインパクトは、それほどでもないんじゃないかな?と。
まだ、あまり勉強していないんだけどね。
発症するかなり前から投薬すれば効果は期待できるみたいだけど、
薬が高価なこともあるし、「誰に投与すればいいのか」という条件設定が
難しいと思う。
最後。
「リバタリアンが社会実験してみた町の話」(マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング)
邦題は長いわりに、本書の実態を表していない。
原題は「A libertarian walks into a BEAR」
で、「BEAR」がめちゃ大きいフォント。
そう、この本の主役はリバタリアンでなくて「熊」なのだ。w
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リバタリアンってのは、アメリカの自由至上主義者。
税金は一切払いたくない。あらゆる規制に反対。
なんなら、政府に頼らず自分たちだけで生きていきたい人たち。
そういう人たちが、ニューハンプシャーのブライトンに集まって、
自分たちに都合の良い制度の町にした。
どうしたかというと、希望者がみんなで移住しただけ。
で、有権者の多数派に収まってしまえば、
リバタリアンが好き勝手できるよね、と。
確かにそうだ。
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そうした結果どうなったか、というと、
なぜか、熊が日常的にあらわれる町になり、
ヒトが襲われる事態が発生。
熊との抗争が始まってしまった、と。
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え、これいつの時代の話?って思うでしょ。
驚くなかれ。
これ、21世紀の話。
割と最近なの。
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いやー、アメリカの自由主義、恐れ入ったわ。
他方では、熊を狩るハンター(違法)がいて、
もう片方では、熊を餌付けしている人がいて、
税金少ないから警察や公権力が弱く、
かつ、害獣駆除までお金と手が回らない。
その中に、変な宗教組織があったり、
政治的な活動家がいたり。
もう、カオスとしかいいようがないわ。
自由と混沌は紙一重、というか同義なのでは?w
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最後の方に新型コロナの話もちらっと出てきたけど、
そりゃ、これだけ規制が嫌いな人たちがマスク付けるわけない。
そんなの当たり前だ。
その結果、クラスターが発生して、上層部で死者が出たり。
なんだろう、アメリカの「自由」の恐ろしさを思い知ったわ。
日本で「自由」って言っても、ここまで無茶する人いないもん。
日本は、というか日本人は、最低限の常識やマナーが共有されてるもん。
アメリカは移民の国だから、そんなもん存在しないんだろうなぁ。
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